【告白】2年前の今日、踵を粉砕骨折しました。
どうも。「産前産後の身体パートナ」の馬場佐希子です。
今日は立春。
昨日は節分。
『鬼は〜外〜。福は〜内。』
邪気払いしましたか?
節分。
こういう節目に、身体をしゃんとするのっていいですよね。
今日は、自分の踵を粉砕骨折した話を書きます。
2年前、私は踵を粉砕骨折した
4メートルくらいの高さから転落して、左踵を粉砕骨折しました。
履いていた靴は吹っ飛んで、アスファルトに素足で着地しました。
よく、踵の骨だけで済んだなと思います。
「骨折すると、いい人になる」と、身体感覚講座で松田恵美子先生が言っていたのが印象深かったです。
「憑き物が落ちたみたいに、いい人になる」そうです。
今となっては、骨折してよかったなと思っています。
骨折しなかったら、きっともっと大きな怪我とか、事故とかに合っていたような気がします。
骨折の前兆はあった
振り返ってみると、骨折する準備ができていたなぁと思うのです。
その前の年の11月くらいから、その前兆はありました。
とにかく、余裕がなくて、あれもやらなきゃ、これもやらなきゃ状態でした。
もっと人に頼ればいいのに、全部自分で抱え込んでいたような状態でした。
子ども二人分のお弁当を作って、一方を保育園へお願いし、もうひとりを幼稚園のバスに乗せ、時間も、場所もバラバラで、オムツも取れていない子どもをどうにかこうにかお世話して、自分のやりたい事をやろうとしていました。
毎日毎日時間に追われて、てんやわんや。
それが、骨が折れて、強制終了です。
何もできなくなりました。
骨が折れて、正直、「どうしよう」と思った
骨が折れてすぐ、次のようなことを思いました。
「子どもを追いかけて、もう走ることはできないのかな」
「踵なんて土台になるところ。そこを怪我してしまって、身体が歪むどころの話じゃないな。身体傾いちゃうよな。いろんな身体の不調につながるかもな」
「足を引きずるようになってしまうのかな」
「動けない間の家のこと、どうしよう」
一方で、前向きなことも考えました。
「骨が折れただけだし、骨がくっつけば、なんとかなるでしょ。」
「人の身体は、そんなヤワなものじゃないはず。」
「きっと、ダメになったところを他のところがカバーして、うまくいくようになるはず。」
と、後ろ向きなことや、前向きなことや、いろんなことを考えました。
経験したからこそ、引き出しが増えた
身体のことを生業にする私にとって、経験を通して得たものは、すごく大きいです。
足の解剖に詳しくなったことを、実体験として落とし込みました。
「ここをほぐしたら、ここが楽になる。」
「ここの筋肉が縮んでるから、ここをほぐそう。」
「動かさないと固まって可動域が悪くなる。」
「ここを動かすと、ここが楽になる」
「足を使えないと、これだけ筋力も、機能も低下する。」
「足湯がこんなに効果的なのか」
「金属が入っている状態が、こんなに冷えるのか」
「麻酔を使うと、こんな風になるんだ」
「術後の経過は、こんな風に身体が変化するんだ」
ということが、身をもって体感できました。
3週間の入院期間
踵の粉砕骨折だったので、歩けるまでに時間がかかりました。
骨がたまごの殻のようにぐしゃぐしゃに砕けているので、すぐに体重をかけてはいけないからです。
ゆっくりゆっくり加重していきました。
そのため、入院期間は3週間でした。
私にとっても、家族にとっても、この3週間は長かったです。
まだ1歳と3歳の子どもと離れ、両親と主人に子どもを任せて、私は自分のことに集中しました。
普段は一緒に生活していない両親が、小さい子どもを見るのがどれほど大変だったか。
仕事をしながら、子どもの世話をする主人がどれほど大変だったか。
家族のことに思いを馳せて、入院中の私は、自分を責めることもありました。
でも、責めても何も変わらないし、今の自分にできることをやろうと、自分の身体を治すことに集注するようにしました。
病人になりたくない
一番強く思っていたのは、自分でできることはやりたい、病人にはなりたくない、ということでした。
刺激の少ない病院で、自分の身の回りのことだけやっている状態で、ポツンとベッドの上にいると、すっかり病人になってしまったような気がするのです。
踵の骨が折れただけなのに、心まで塞いできます。
依存心がどんどん膨らんでいくのです。
そこで、できるだけ、ベットからは離れるようにして、院内を散歩したり、デイルームで本を読んだりしていました。
また、刺し子をしたりして時間をつぶしました。
すごく集中できることをしていないと、泣きたくなるようなあれやこれやを考えてしまいます。
その思考をひたすら掘り下げてみたりしますが、毎日となると、きつくなってきます。
車椅子や、松葉杖でも自分でやっていたのは、書いてみると全く大したことではないのです。
例えば、
- 下膳
- お茶汲み
- お風呂
- 洗面
なんてことないこれらのことは、怪我や病気をしていると、大変なことになるのです。
バランスが取れないと、下膳できないとか。
もう一歩のところで、給湯器に手が届かないとか。
片足しかつけない状態で、風呂に入るには、支えがないと難しいとか。
だけど、それを工夫して、一人でやっていました。
術後、初めて自分でいれた、あったかいお茶を飲めた時のおいしさは、忘れられません。
そんなこんなしていると、同室のお姉様方から、
「あなたを見ていると、元気が出る」
と言われるようになります。
同室の方は、骨粗鬆症で圧迫骨折をした高齢の方が多かったのです。
そして、昔話を話してくれたり、お赤飯のおいしい炊き方を教えてくれたり、べったら漬けの漬け方を教えてくれたり、梅干しの漬け方のコツを教えてくれたりしました。
お姉様方を見ていると、自分の行く末を見ているような気持ちになりました。
やってみたからこそ、気持ちがわかる
大したことのない、下膳やお茶汲み、お風呂に入ることも、苦労してやっとできる体験をすると、気持ちがわかります。
また、車椅子や、松葉杖で移動している時に、すごい勢いで近付いてくる人を転びそうで怖いと感じたり、エレベーターに乗るのに、肩身がせまい思いをしたり、そういったことも、体験したからこそ、気持ちがわかります。
これは、今後の自分の糧になります。
家族の絆が深まった
こんな状況では、家族が助け合わないわけにはいきません。
そのおかげで、家族の絆が深まりました。
こんなことでもなければ、主人も私の実家にしょっちゅう足を運ぶこともなかったでしょう。
両親も、子ども達とこんなに密に関わることもなかったでしょう。
子ども達も、母親不在の状況で、心も大きく成長したように感じます。
ある時、お見舞いに来た子どもと一緒におやつを食べて、絵本を読んでから、駐車場まで見送りに行きました。
車が発車し、窓を閉める時、長男が泣きそうになる声を抑えながら、
「お母さん、おやつも一緒に食べられて良かったね!」
と涙目になりながら、必死で言いました。
車が見えなくなるまで、大きく大きく手を振りました。
その姿を見て、怪我をしている自分が情けなくなりましたが、長男の成長に心が震えました。
そして、両親への感謝も深まりました。
私は、子供の頃、よく怪我をしています。
プロフィールにも書いています。
今回、自分のことだったので、心もさほど揺れずに過ごせました。
しかし、これが大事な家族のことだったら、どうだっただろうと、胸が締め付けられます。
心おだやかに、経過を見ることができただろうかと感じます。
いつでも支えてくれた両親に感謝の気持ちが深まりました。
骨が折れたおかげでおおらかになれた
冒頭の松田恵美子先生の話ではないですが、骨が折れたおかげで、「いい人」、おおらかになれたように思います。
例えば、これまで「気」を「氣」と書いてきました。
それはなぜかというと、漢字の持つ意味を表したかったからです。
”言霊”って聞いたことありますか?
それと同じように、字の形で、エネルギーが違うように思えたのです。
ヨガの中でも、プラーナとか「氣」とか、エネルギーの話が出てきます。
また、整体や東洋的なものの考え方でも「氣」が出てきます。
だから、広がっていくような「氣」を使うようにしていました。
だけど、それもどっちでもいいかなと、思えるようになりました。
そんなことに、こだわらなくてもいいのかもなって、今は思えます。
よりたくましく、強く、しなやかになれたように思う
おかげさまで、走れるようになりました。
ヨガもできるようになりました。
まだ、怪我した足の動きが悪かったり、冷えたり、筋力が追いつかなかったり、可動域が狭かったりしますが、それでも、元気でやれています。
怪我した経験が、心の面でも、身体の面でも自分を成長させてくれました。
怪我のおかげで、整体仲間やお手当て仲間に出会うことができました。
ボディトークを体験するきっかけにもなりました。
ボディトークを体験してきた!施術者がボディトークを学ぶきっかけ話に感動。
怪我の功名とはよく言ったものです。
経験が全て、出会った方に還元できるはずです。
これまでの経験と出会いに感謝して、これからの経験と出会いを楽しみにしています。
3月には引越しも控えています。
立春の節目に、2年前の怪我を振り返りました。
これからもよろしくお願いします。
おしまい。