恩人の話。私が「産前産後の身体パートナー」として活動をする理由。
先日、学生時代の恩人に会いました。
彼女がお腹にいるときに出会って、その彼女は、今年で12歳になります。
あれから、12年。
私が「産前産後の身体バートナー」として活動しているのは、彼女たちとの出会いがあったからです。
今日は、涙なくしては読めない?!
私のストーリーを書きます。
この記事を読めば、もっと馬場佐希子のことが好きになる!!
そんな記事になるはずです。
(やめて!!「必要ないわっ」て、ページを閉じないでくださいっ。お願い。最後まで読んで。)
ブログ1時間チャレンジ
さぁ、いつもブログを読んで下さっているあなたなら、もうお気付きですね。
この人、今日のテンション、ちょっとおかしいな。
いつもと様子が違う、とお気付きのあなた。
そう。
クッキー片手に、このブログを読んでいるそこのあなたです。
私のテンションがおかしい理由は、ブログを1時間で書き切ることにチャレンジしているからです。
完全に焦っている。
そう焦っています。
焦ると、本来の自分の力が発揮できないですよね。
でも、素の自分は出ますよね。
前回の、30分ブログチャレンジは、勢いがあっておもしろい、と好評でした。
30分でブログをアップした記事はこちら↓↓
30分ブログチャレンジ
(「誰に?」という質問は受け付けません。)
馬場佐希子のプライベートが謎らしい
「先生のプライベートが謎です。」
「佐希子さんでもそんな悩みあるんですね。」
「やりたいことが伝わらない。佐希子さんがどんな思いで活動しているのかが、伝わらないよね。」
と言われ続けている、馬場佐希子です。
自分を出せないことが課題で、なんとかしたいともがいています。
30分ブログチャンレンジや、1時間ブログチャレンジは、素の自分が出るはず。
だから、そんな今の私の課題を克服するのにピッタリのチャレンジです。
さぁ!
自分のことが伝わるように、1時間で書き切ります。
すでに、スタートから10分経過しています。
こんなに大事な話、恩人の話を、1時間で書き上げようとした自分を、少し悔やんでいます。
いや、そんなことはない!
勢いが大事だ!
彼女たちとの出会いがなければ、今の私はない
学生時代、助産師を目指して、病院実習をしていた時に、彼女たちに出会いました。
「恩人」
それ以外に、言葉が見つかりません。
へなちょこ学生で、田舎から出てきた貧乏学生で、何とも頼りにならない学生の私に、お産を介助することを了承してくださった彼女たち。
妊婦健診で、彼女たちに会うことが楽しみでしょうがなかった、学生時代。
慣れない都会での暮らしと、慣れない病院実習でしたが、彼女たちに会えることは、本当に楽しみでした。
会うたび、大きくなっていくお腹や、聞かせてくれる、日々のこと。
妊婦さんだった彼女に、医師がこんな言葉をかけているのを、隣でいつも聞いていました。
「体重増えすぎ!」
「スイカダメ!
なしダメ!
果物全部ダメ!」
「よく動くこと!」
「先生、それ、先週も言ってたよ??」
って、心の中で思いながら。
助産師学生だった私は、こんな風に言われて、
「妊婦さんは変われるんだろうか?」
と心の中で思っていました。
それを、できるようにサポートするのが私の役目なので、どうしたらいいかをせっせとお話を聞いていました。
ちんちくりんの20歳そこそこの学生が、できることや、わかることなんて、たかが知れています。
そうやって話を聞くことで、妊婦さんだった彼女は、自分で答えを見つけていったように思います。
だから、今の私が、
「妊婦さん自身が、自分で答えを見つけて、必要なことができるように変化するのに寄り添いたい」
と思うようになったのは、実体験でそれを学んだからなのです。
”助産師”とか”先生”ってなると、つい何かを教えたり、手助けしたり、あれやこれやと介入したくなります。
でも、力不足で、十分にそれができなかった学生時代。
それでも、その人が持っている力で、無事に出産できるのを見ると、余計なものはいらないなって感じました。
むしろ、余計なことをせず、見守って、寄り添うことの方が大事だな、って思うようになったのです。
良いも悪いも、相手が判断すること
学生で、話を聞くことくらいしかできなかった私は、落ち込んだり、反省したり、悔やんだり、しょぼくれて、小さくなっていました。
だけど、彼女は、「あの時、佐希子さんが話を聞いてくれたから、とっても助けられた。」と仰っていました。
「今から始まる育児と、介護のダブルパンチで、そんな時に、佐希子さんの存在が、どれだけ助けになったか分からない」
と、12年経った今でも、交流があります。
それはなぜだろうと考えた時、力不足でも、自分にできることはいつでも全力で、相手と関わっていたからだろうと思います。
真剣さとか、熱い思いとか、そういったものは、人の心を動かしますよね。
私の
- 必死さとか
- 誠実さとか(←自分で言う)
- 優しさとか(←これも自分で言う)
が、相手に伝わって、対助産師学生という立場を超えて、人として役に立てた部分があったんじゃないかと思います。
当時の私は、身内も近くにいなくて、編入学でお友だちもそんなにいなくて、お金もなくて、割と孤独の中にいました。
そんな時に、彼女の担当にならせてもらいました。
お姉さんができて、従兄弟ができたような気がして、本当にうれしかったものです。
(完全に公私混同なので、指導者さんには怒られると思います。)
あくまでも、黒子
公私混同といえば、実習の中で、二つの思い出深いことがあります。
1.バースレビュー(お産の振り返り)事件
指導者の前で、患者さんとバースレビュー(お産の振り返り)をしたことについて発表している時に、私がこんな発言をします。
「バースレビューが、自分のケアを見直すきっかけになった。」
それを聞いた学生指導者さんの言葉が、次のようなことです。
「バースレビューは、あくまでも、患者さんのもの。あなたのためのものではない。そこを間違えるな。」
それを聞いた学生時代の私は、ハッ!とします。
ケアの軸は常に患者さんにあって、自分目線で考えてはいけないことを改めて肝に銘じたのでした。
バースレビューを希望しよう
バースプラン(どんなお産がしたいか)について書いた記事もおすすめです。↓↓
バースプランの書き方
2.アルバム事件
もう一つ、思い出深いのは、入院中の赤ちゃんの様子や、お産直後のお母さんとの様子を小さなアルバムにまとめて渡そうとしたときのことです。
助産師学生なので、その行為が、患者さんのためのものでなければ、やってはいけないのですが、そのアルバムを渡したいと言った時に、指導者さんに突っぱねられます。
「何のために渡すの?あなたが渡したいだけで渡せないよ。ただの思い出としては、渡せないでしょ。」
それを言われた私は、また
ガーン!!!
その後、
「入院中のこの生活の思い出がこれからの育児を支えることになります。
- こんなに大変な思いをして産んだとか、
- おっぱいが出るまでにこんなに苦労したとか、
そういう思い出が、この先、育児を困難に感じた時に必ず助けになるので、お渡ししてもいいですか?」
ということで、指導者さんから許可が出て、無事に渡すことができました。
自分がどうしたいか
ということよりも、
徹底的に、相手をサポートすることを教え込まれたように思います。
あの時、あの病院で、あの助産師魂の熱い指導者さん達に恵まれたことも、今の私を作っています。
やばい!
時間がない!
あと15分っ!
やっぱりタイトルも、アイキャッチも、ディスクリプションも何もない。
本文もここまでだっ!
私が、「産前産後の身体パートナー」として活動する理由
(プロフィールも読んでね。)
助産師学生時代には、胎児〜赤ちゃんだったあの子が、今年12歳です。
そして、そのお母さんとも、12年の付き合いになります。
今では、遠くの親戚以上の関係です。
(公私混同と怒られる。オロオロ。)
その彼女から、
「どんな形でもいいから、仕事を続けて欲しい。それは、パパと二人からの願いだよ。」
という言葉をかけられます。
私が、母になった時にかけられた言葉です。
しばらくは、子育てに専念するつもりだった私の気持ちを見透かされたような気持ちでした。
でも、その言葉が、今でも私を支えています。
彼女たちとの出会いがなければ、
彼女からのその言葉がなければ、今の私はないはずです。
「産前産後の身体パートナー」を語って、活動はできていないはずです。
私も、今ではふたりの子どもの母親です。
この子達の母親も私しかいないけど、私は、私の立場で、これからも妊婦さんや子育て中の方に向けて、できることをやっていきます。
ありがとうございました。
心から、感謝を込めて。